浅い深いにかかわらず、オタクコンテンツを追っていると「こういうキャラが好きだなぁ」という傾向は多少出てくると思います。
自分の場合、平たく言えば「悪役」で大義のようなものを持たないタイプが好きなキャラクター像の1つとしてあります。
その源流は子供の頃にプレイしたゲーム、テイルズオブデスティニーに登場するラスボス、ミクトランです。
彼は(ゲーム本編において)純粋な支配欲と選民思想にまみれた独裁者です。
シリーズ一作目、テイルズオブファンタジアのラスボスであり、その所業の裏に確固たる大義を持つダオスとは対照的な存在と言えるでしょう。
同シリーズの以降の作品においても傲慢さなど負の要素が前面に出てくるラスボスは存在しますが、ミクトランほどにシンプルに悪(人)と言えるキャラは中々いないのではないでしょうか?
自分は(ビジュアルや声も含め)彼のそんな所が好きなのですが、反面彼には
「これといったバックボーンや信念がない」
(信念を持たないことに関しては公式の媒体で冗談半分とはいえ言われているため半公式と言っても差し支えないでしょう)
という一般的に見た場合致命的な欠点があります。突き抜けた悪役は人気も高く強大なインパクトを残すものですが、彼はその枠組みからも外れているように思えます。
リメイクされた同作においても自分の支配する世界について語るなど多少の肉付けはされたものの基本は変わらなかったため、よく言えばキャラ崩壊せず済んだと言えるでしょう。(スタッフの拘り?)
自分がそれを好きならば評判など気にしない!…と言いたいところですが、それはそれとしてキャラは立っていた方が嬉しい物でしょう。
そこでタイトルにもある「じゃない方」に助けられるというわけです。
彼の場合は前述したダオス(+他)という対照的な存在がそれにあたり、お互いに相手を「じゃない方」として引き立てあっていると自分は考えています。
対照的な存在を持ち出すことは対立煽りなど悪い印象を持たれることもあります。ただ、
「ありがちな設定よりこちらの方が良い」といった発言のように余計な一言が付かなければ双方の魅力やアイデンティティを確認する手段として有用ではないでしょうか?良い悪いだけで断じるのではなく、単なる好みの差であれば咎められることは無いはずです。
今回は自分がバックボーンの無いキャラ側に立っていますが、もちろんその逆もあり得る話で、その際にもタイトル通り感謝や敬意がベースであることが伝わるよう言葉選びをすれば、誤解なく自分の「好き」が表現できると思うので、心に留めておくと良いかもしれません。