今回は大昔にプレイしたゲーム、テイルズオブデスティニー2の感想というか、そのテーマについてぼんやりと思っている事を書いていこうかと思います。

相手にとって不足アリ?
このゲーム、中盤辺りから神による痛みも苦しみも無い管理社会か、そんなものに頼らず自らの力で生きていくのを望むかで神と主人公たちが対立するという構図が浮かび上がってきてそれが主軸になるんですが、なんというか神の陣営に張り合いがないなという印象を受けちゃうんですね。
ラスボスのフォルトゥナはまさに上位存在的無機質さなのである程度そうなるのは仕方なく、エルレインは幸福の形を決めつけて盲信的になっている人物としてしっかりとキャラクターが立っているので個人的にはかなり好きです。(人々の幸福・救済を求めている事に偽りはないので別作品では和解の道も)
…が、エルレインの理想世界の賛同者かつ邪魔者の主人公たちを徹底的に排除してやろうという気概とその為の力を持ったキャラが決定的に足りないんですよ。
それもそのはずで、そんな努力もなしに生きていけるような世界に賛同するような者の中に所謂ネームドボスを務められるようなキャラが居るかと言われたら(普通に考えて)少し想像しがたいんです。
作中における賛同者の殆どは善も悪も無い普通の人です。
もちろん人々の救済(病や貧困等からの)と不自由を秤にかけた結果そういった考えに至るキャラクターも素人目にはアリだとは思いますが、本編に登場していないという事は意図的に出さなかったんでしょうね。
少なくともエルレインの作った夢の世界は、努力して地位や力を得た当人本位で考えるなら生きてきた証のリセット、均一化になります。その実現の為にわざわざカイル達と敵対までするか?という話になります。
彼女の側近のサブノック・ダンタリオン・ガープが居るじゃないかという話もありますが、彼らは(ゲーム的にも強い)実力者・武人であるものの、出自がよくわからずそれぞれの意図も語られません。エルレインの目的に従う意思ははっきりと見える、信念はある、裏表の無い忠臣…ではあっても、管理された理想世界に関して、それぞれ個人として述べることがないんです。
(バルバトスに関してはバトルマニアというか手段問わず欲望のまま戦ったり殺したりできれば良いというタイプで、従者たちと比べるまでもなく救済云々とは程遠い存在です)
神の勢力はここのパンチが弱いんですね。
個人的にD2の敵味方はどちらにも正義はあり、それを両者がぶつけ合っているというより押し付け合っているのだと思っているんですが、そもそも序盤の時点でエルレインが英雄たちにバルバトスをけしかける(殺人および殺人未遂)過激な方法をとってしまった事で「まぁ彼女らが悪いよね…」と話が主人公側贔屓になっていて、そこに対する要素として味方であるリアラの「でもこの(エルレインの改変した時代)人達は幸せそう」という迷いのセリフはあれど、前述したボスキャラの不在が祟ってもう一押しが足りないんです。
結局そのまま話は終わるのか?
そこは天下のテイルズシリーズ。このままで終わらないんです。
歴史改変から守られた世界をめぐるクリア後要素にて、急にプレイヤーを刺してくるNPCが存在します。それは
序盤にエルレインの力で目が見えるようになった盲目の女性です。
※序盤のイベントで目が見えるようになっているのは男性(老人)ですが、それとは別に盲目の女性も存在しています
この世界にはエルレインもフォルトゥナも存在しません。当然この女性の目は見えないままです。
話しかけると彼女はこう言います。
「私は目が見えないんです。この目が見えるようになったらどんなに素晴らしいことか。神の力で、この目を癒してほしい。人間の力でできないことを神に願うのはいけないことなんでしょうか?もし全能の神を否定する人間がいたら私はその者たちを一生、恨むことでしょう」
いや、これをメイン部分に持ってきてよ!!!
と言ってしまいそうになる名台詞なんですが、この台詞は「何も知らないカイルとロニを介して、ラスボスである神を倒したプレイヤーに向けて」でなくては意味がないんです。
こういった要素が本編にもっと欲しくはあったものの、それはそれとして溜めに溜めてクリア後にこの形で「否定」を持ってきたことでシナリオが完成した感があります。
このカイル達は本編中の記憶がないので女性の心情の吐露を前に一個人としてと受け止めることしか出来ません。(エモーショナルバルーンによる「…」というリアクションのみ)
また、時系列的には目が治った直後に該当する現代(終盤)において彼女は
「エルレインさまのおかげで目が見えるようになりました。でも、子供の頃に見た風景はどこにも残っていませんでした。少しショックです」
「あの風景をもう一度見たいと思っていたんですが・・・でも、エルレイン様には深く感謝しています」
とも述べています。この人間味もたまらなく好きなんです。
エルレインへの感謝は本物とはいえそれはそれ、これはこれといった具合の率直な感想ですよね。
エルレイン達が神団にかかわって、どこまでアイグレッテの繁栄に影響したのかは分かりませんが、ゲームから読み取れる情報的には少なくとも、目の回復と昔見た景色の両立はほぼ不可能であることが分かります。
よく語られるのはクリア後のセリフの方ですがこちらも併せてこその名ゼリフかと思っています。
また、こういったプレイヤーへのメッセージとなる要素はもう一つあります。
サブイベントベルセリアの花(仮称?)です。
クリア後は時代的には現代の為、幼いナナリーと、正史では神団の援助を受けずに亡くなるはずのナナリーの弟ルーが居ます。
イベントの内容は病気のルーを救うために各地を巡り、秘薬を求めるというものなんですが、これは
全てを知っているプレイヤーが何も知らないカイルとロニを操作し、歴史改変を行っている
とも取れます。まさに神視点からの介入です。
当然二人にとってそこは現代で改変もなにもなく、目の前に病人がいれば助けようとはするでしょうが、手間をかけてホープタウンまで移動した末に見られる要素=事情を知っているプレイヤーしか見られないと考えるとメッセージじみたものを感じます。
これらのイベントを見るかどうかでゲームの印象が結構変わるんじゃないでしょうか?
本筋において自分達の力で生きていくというカイル達の意志や覚悟は肯定されているものの、我を通した先に「実はこういった人も居たんだよ」という「事実」をプレイヤーに見せつけたり、なんならあれほど否定されてきた歴史改変をサブイベントという所謂ゲーム的な流れで(擬似的かつ小規模ながら)行わせてくる
少なくとも自分はそういった部分に惹かれるものがありました。
そのテーマだけでここまで思い出語りをさせてくれるゲームを生み出してくれたバンナム(当時namco)に感謝。